いろんなものはつながっている

インテリジェンス武器なき戦争

ずいぶん前に特に意識せずにブックオフで買ってきた本。佐藤優氏の国策捜査を読み、そういえばこんな本も買ったなと読んでみた。

佐藤氏と元NHK記者 手嶋龍一氏との対談をまとめた本。

インテリジェンスの情報収集&情報分析技術の一端を紹介している。

国家は移り変わる情勢のなか、その場その場で決断をしていかなければならない。適切な決断をするためには現状をできる限り正確に把握している必要があり、そのため、インテリジェンスの強さは国の強さにつながる。

現状把握はなにも特別なルートが必要というわけではなく、公開されている情報を分析することで80%ぐらいのとこはわかると、両著者は述べている。

公開されている情報からおおよそのことがわかるといっても、公開されている情報をタイムリーに十分な量を収集する労力と、ある情報をみてそれに関係する事実を引き出せる前提知識が必要なわけだから、やはり質の高い情報分析は高度な技術であると思う。

あとからならなんとでもいえる

情報のプロはあとから知っていたとはいわないと。

上っ面の事実を知っているだけでは単なるインフォメーションにすぎない。そんなものはインパクトを少しももたない。情報として生命力は宿ってないのです。

日本人は、知らなかったとは、恥ずかしくていえない性質がある、と。

ゾルゲが手記にこんなことを書いている。

日本人から情報を取るには、「あれ、あなた知らないんですが?」というのが一番よい。日本のエリートが知らないことが恥ずかしいことと思っているから、調べてでも教えてくれる。

こういうのを聞くと、どこかで読んだ、人は少しだけ知っていることほど饒舌に語ろうとする、というのを思い出す。全く知らないわけではないが深くは知らないことほど、いかにも自分が知っているかのように話す傾向があるということだ。気をつけねば。

日本は世界2位のインテリジェンス「能力」はもっている

佐藤氏は

インテリジェンスの能力は、国力から乖離しないものです。したがってGDPが世界第二位ならばそれに即したインテリジェンス能力を日本は持っているはず。

といっている。だが続けて

しかし、それが結晶化していないのです。

とある。

アメリカに情報をただでくれてやっていてはいけない

日本のインテリジェンス体制がお粗末な例として1983年におきた大韓航空機追撃での日本の対応をあげている。

大韓航空機追撃事件では日本が傍受したソ連空軍の交信内容がなんなくアメリカにわたってしまっていた。それは日本の施設がもともとアメリカの施設を引き継いだものであるため、アメリカの将校も同居していた、と。

こんな状況は主権国家ではあるまじきこと。日本のインテリジェンスの利用体制の情けなさをさらしただけでなく、ソ連が日本が交信を傍受していたことをソ連に感知されてしまったため、交信周波数が変更され、さらに生の言葉であったことを公表してしまったのでそれ以降、ソ連は生の声を一切しゃべらないようになってしまった。

両著者の話を聞いてると、常に情報を収集し蓄積し、ある入力に対し関連する情報をするすると引き出す感じが、人間版グーグルのように感じる。彼らの場合はその次に、関連した情報から欠けているピースやその次の関連を導くことが続くのだろう。

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