いろんなものはつながっている

嫌われる勇気

昨年、嫌われる勇気を読んで思ったこと。

  • 誰かの期待を満たすために生きてはならない
  • 他人を評価する必要はない

この二つのことがすんなり自分の中に入ってきた。一つ目はとくに家の中のこと、二つ目はとくに家の外でのこと。この二つをあらためて意識するだけで物事に対して冷静になることができる。

他人の期待を言い訳にしない

他人の期待にこたえようと思うことが原動力になるのは確かだが、他人の期待を原動力としていると最終的には自分の頭で考えることを放棄することにつながっていく気がする。

原動力は自分の内からわきあがってこないと、結局のところ途中で何のためにやっているのかわからなくなって悩むことになってしまう。

また、何かができないまたは何かをやらないときに他人を言い訳につかうようになる。

親は子供にいろいろ期待してしまうのしかたないことだろうと思うが、期待しているぞというメッセージが強烈だと知らず知らずのうちに子どもの行動を制限することにつながることもある。

子供が親の期待を意識し続けてしまうのは親が自立していないことからくるのではないかな。親の期待の呪縛から子供を解放してあげるには、親が自立しているというのがけっこう大切なのではと思う。

他人の領分に口をだすな

他人との接し方についてこういっている。

権力争いを挑まれたときには、ぜったいに乗ってはならないのです。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること

まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です

これは何も他人に対して無関心でいろといっているわけでない。親と子の関係を例にこうもいっている

アドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。放任とは、子どもがなにをしているのか知らない、知ろうともしない、という態度です。そうではなく、子どもがなにをしているのか知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思ったときにはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。けれども、子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。

以前の会社の上司が、
あいつはダメだから、信用ならないからおれがやってやってると思って仕事をやっていてはだめだ。他人が助けを求めているから手伝っていると思ってやらないとうまくいかない
といっていた。こういう人が人の上にたつ人なんだなと思った。

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